The Four Accomplishments
2.琴棋書画

この世のことならばおよそ解せるものを、  囲碁のために名を辱められねばならぬとは――林逋(りんぽ)

林逋(諡号(しごう):和靖(わせい) 967−1028)は杭州西湖(こうしゅうせいこ)の孤山に庵を結んで隠棲していた、北宋時代の高名な詩人。琴(きん:中国の弦楽器)の名手で書も巧みだったが、囲碁が不得手だったことを恥じて、このように記したのだろう。というのも、中国では唐代のはじめ(7−8世紀)ごろより、琴・棋(碁)・書・画の四芸が風雅なたしなみとしてもてはやされ、これらすべてに熟達してこそ、博学多才な士君子であるといわれていたからだ。

この四芸は日本でも早くから〈琴棋書画(きんきしょが)〉とよばれて知られていたが、琴は箏(そう)、琵琶、三味線に置きかえられることが多かった。天平宝字元年(757)に施行された養老律令の僧尼令(そうにりょう:僧尼の身分・戒律・行動にかんする規定)には、「碁琴は制する限りにあらず」という条文があり、大宝元年(701)に施行された大宝律令にも同様の条文があったと推定されている。これはすでにその時代から、碁と琴が技芸として高く位置づけられていたことを示しているのかもしれない。

室町時代以降、琴棋書画は掛け物、屏風絵、襖絵などの画題に盛んに用いられた。庶民の美術である浮世絵では、当世ふうの美女や子どもたちを中国の文人に見立てた絵が多く、遊女もしばしば描かれた。実際に遊郭の上級遊女は、身分の高い客の相手をつとめられるだけの教養を身につけていなければならず、琴棋書画のたしなみも欠かせなかったという。

琴棋書画、四季、五大(地・水・火・風・空)、近江(おうみ)八景、東海道五十三次――日本の画家たちはこのような、複数の要素でひと組となる主題を好んで取りあげ、世間で認識されている枠組みはそのままに、あらたな工夫を生みだした。浮世絵版画ではひとつの画題のもと、何枚かの図でひと組とする形式がよく見られる。その場合は1図ずつを単独で鑑賞できるばかりでなく、同じ組の別の図や、数世代前の絵師たちによる同一主題の図とあわせると、より深く味わうことができるように制作されていた。時と場所を自由に組みあわせてひとつの世界を織りなすとは、じつに創意に富んだ様式であるといえるだろう。