General Kuan Yu
3.関羽将軍

『三国志演義(さんごくしえんぎ)』は、中国の三国時代(2世紀後半−3世紀後半)の歴史が記された正史『三国志』を、明代のはじめ(14世紀後半)に羅貫中(らかんちゅう)が潤色した長編小説。激動の時代を背景に、個性豊かな英雄豪傑たちの活躍が壮大なスケールで描かれている。

この小説は早くも室町時代ごろ日本に紹介され、しばらくは漢文のまま読まれていたが、江戸時代に入り、元禄2年(1689)に湖南文山(こなん・ぶんざん)によって『通俗三国志』という題名で邦訳された。その後、天保7年(1836)から12年(1841)にかけて、池田東籬亭(いけだ・とうりてい)が邦訳を校訂した読本(よみほん)『絵本通俗三国志』全74巻を出版。葛飾北斎の愛弟子・二代戴斗(たいと)が挿絵を手がけたこともあり、たちまちベストセラーになった。さらに、読本に想を得た歌川国芳が、この小説を題材にした初の錦絵(多色摺版画)シリーズとしてさまざまな場面や登場人物を描いたところ、これもまた大ヒット。幕末の浮世絵界において〈武者絵の国芳〉とうたわれていた国芳は、名声をいよいよ不動のものにして、長く活躍することとなった。

『三国志演義』の英雄のひとり関羽(かんう)は、蜀漢の初代皇帝・劉備(りゅうび)に仕えた武将で、劉備の義兄弟でもある。後世、軍神・財神として中国各地の関帝廟(かんていびょう)にまつられ、日本の中華街などでも親しまれている。浮世絵では常に、みごとな漆黒のほおひげをはやした大男の姿であらわされた。

 図版3−1は、国芳が嘉永6年(1853)に発表した大判3枚続。『三国志演義』第75回のなかで、ひときわ印象深いくだりを活写している。戦いでひじに毒矢を受けた関羽が、医師・華佗(かだ:華陀とも書く)の荒療治に、麻酔もなしにのぞむ場面だ。

そこで華佗は小刀で肉を切りさき、骨をむき出しにすれば、すでに青くなっている。彼がぎしぎしと音を立てて削りはじめると、居並んだ者たちは真蒼(まっさお)になって顔をかくしてしまったが、関公は酒を飲み肉を喰(くら)って、痛さも感ぜぬがごとく談笑しながら碁をうちつづけていた。
たちまちのうち、血は盆にあふれんばかり。華佗が毒をことごとく削り、薬を塗ってから、糸で縫い合わせるや、関公はからからと笑って立ちあがり、大将たちにむかって言った。
「どうじゃ、このとおり、伸ばしても少しも痛くなくなった。先生はまことに名医じゃ」
「わたくしもこれまで永らく医者をやってまいりましたが、将軍のようなお方ははじめてでござります。まことに神様でござります」

(『三国志演義(下)』立間祥介訳 1985年 平凡社)