源頼光(みなもとの・よりみつ 948−1021)は〈らいこう〉の呼び名で親しまれている、平安中期の武将。大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)をはじめ、鬼、妖怪、盗賊を征伐した武勇伝で名高いが、そのなかに土蜘蛛(つちぐも)退治の伝説がある。
民俗学者によれば、そもそも土蜘蛛とは、大和朝廷の支配下に入ることを拒んだ土着民への蔑称だったらしい。しかし頼光が退治した土蜘蛛は、大蜘蛛の姿をしたおそろしい妖怪で、旅人を地下の巣窟へ誘いこんでは生き血を吸っていた。
頼光と土蜘蛛の伝説は、能、浄瑠璃、歌舞伎などに仕立てられ、それらの作品に取材した浮世絵には、囲碁が描かれているものもある。
伝説は主に2種類あり、ひとつは以下のような話だ。京都洛北の蓮台野(れんだいの)で空飛ぶ巨大な髑髏(されこうべ)を目撃した頼光と従者の渡辺綱(わたなべの・つな)は、それを追って1軒の古屋にたどりつく。古屋では山姥(やまんば)が怪童丸(かいどうまる)という少年と暮らしていた。怪童丸は獣を遊び相手にして育ち、人並みはずれた怪力の持ち主だった。そして頼光に願い出て従者に加えてもらい、金時(きんとき)の名をさずかる(この少年の物語が、江戸中期以降「金太郎」となる)。
頼光らはなおも髑髏を追い、古屋の地下にある洞窟へ入っていった。騒ぎたてる化け物どものあいだをなんとか通りぬけたところで、妖気をたたえた美しい女に出会う。頼光は女を調べるが、ふと気づくと妖術にかかり、蜘蛛の巣にからまりかけていた。糸を断ち切り、返す刀で女にひと振りあびせると、女の姿はかき消える。じつはその女こそ、土蜘蛛の化身だったのだ。一行は血のあとをたどり、ついに洞窟の奥深くひそむ大蜘蛛を発見。激闘のすえ、頼光が斬り伏せる。
もうひとつの伝説では、頼光は原因不明の病のため館でふせっており、渡辺綱、卜部季武(うらべの・すえたけ)、碓井(碓氷)貞光(うすいの・さだみつ)、怪童丸あらため坂田金時(さかたの・きんとき:公時とも書く)に護られている。ちなみに浮世絵や歌舞伎での金時は、赤ら顔で筋骨たくましい短気な武者と決まっている。また、この4人は仏教の守護神になぞらえて〈四天王〉と呼ばれる。
ここで四天王のうちふたりは、碁を打ちながら宿直(とのい)をしている。そこへ現れる1匹の妖怪。頭目(あきらかに正体は土蜘蛛)から、病床の頼光の命をとりにさしむけられたのだ。浮世絵では、この妖怪はたいてい三つ目で舌が長い。さらに、1匹だけでなく、ほかにさまざまな妖怪が描かれている場合も多い。もっとも有名な図は天保14年(1843)に国芳が描いた大判3枚続で、化け物たちがまるで悪夢から抜け出てきたように表現されている(図版6−4)。さて、頼光はあぶないところで気づき、頭目の脚を斬り落とした(図版6−12左)。妖怪どもは退散し、そこから先は同じような展開になる。渡辺綱らが血のあとをたどって洞窟深く入っていき、土蜘蛛をしとめると、頼光はたちまち快復する。
これらの伝説から、まず能の「土蜘蛛」(流派によって「土蜘」とも書く)が作られた。この曲は2場にわかれており、前場(まえば)では怪僧に化けた土蜘蛛が病床の頼光のもとを訪れ、蜘蛛の糸を投げかけて襲いかかるが、本性を見破った頼光に斬られて消える。後場(のちば)では独武者(ひとりむしゃ)が従者をひきつれて血痕をたどり、古塚を突きくずす。土蜘蛛が姿を現し、糸をくりだして独武者らを苦しめるが、ついに首を落とされる。
能「土蜘蛛」は、多くの歌舞伎狂言や舞踊劇に取り入れられた。なかでも明治14年(1881)に著名な歌舞伎作者・河竹黙阿弥(かわたけ・もくあみ)が作詞した長唄「土蜘」は、今日もなおファンに親しまれている。能と歌舞伎に共通する見せ場といえば、なんといっても土蜘蛛が千筋の白い糸を投げかける場面だろう。鉛に紙をかたく巻いて作られた糸が、瞬時にほどけて舞台いっぱいに降りそそぎ、人々にからみつくさまは圧巻である。
黙阿弥作「土蜘」以前の歌舞伎には、土蜘蛛が美女の姿で登場する演目も見られた。天明元年(1781)に江戸中村座で初演された初世桜田治助(さくらだ・じすけ)作「四天王宿直着綿(してんのうとのいのきせわた)」のなかの長唄「我背子恋の合槌(わがせこがこいのあいづち)」通称「蜘蛛拍子舞(くものひょうしまい)」、文政元年(1818)に江戸玉川座で初演された四世鶴屋南北(つるや・なんぼく)・二世瀬川如皐(せがわ・じょこう)作「四天王産湯玉川(してんのううぶゆのたまがわ)」のなかの富本「巍魂宿直噺(やままたやまおよつめばなし)」などがある(図版6−1)。
〈解説〉
土蜘蛛が古代の辺境の民をさす蔑称だったことは、『古事記』『日本書紀』のほか、各地の風土記(ふどき)に伝えられている。それらの記述によれば、土蜘蛛は身長が低く手足が長く、土室に住んで未開の生活をいとなみ、よそ者がくると室に隠れたという。大和朝廷は中央集権に抵抗する〈まつろわぬ者〉たちを異民族視し、討伐すべき凶賊であるとしていた。