美人画 目次へ戻る

図版


図版 10-1. 万字屋若草
鈴木春信 版元・丸屋甚八 小泉忠五郎 舟木嘉助 明和7年(1770)



『絵本青楼美人合(よしわらびじんあわせ)』第1巻より、万字屋の遊女・若草。これは明和後期の吉原に実在した遊女を描いた絵本で、それぞれの図に自作の句が添えられている。若草の句は
繋るゝ 駒下駄もあり さくら陰

太夫は美しいだけでなく、書、和歌、唄、三味線などの技芸に秀でていなければ ならなかった。碁も必須教養のひとつ。若草は白石を持っており、 かなりの腕前だったのではないだろうか。
図版 10-2.寛政五美人囲碁図
喜多川歌麿 大判 版元・丸屋文右衛門 寛政(1789-1801)



美人画の第一人者である歌麿は囲碁好きだったらしく、数点の囲碁図を描いている。 ホノルル美術館所蔵の本図は現存する唯一の初摺といわれ、囲碁界だけでなく 浮世絵界全体としても貴重な作品。

この図の魅力のひとつは、女たちの自然なポーズだろう。 特に右端の女は身を乗り出すようにして次の1手を見つめており、気取った 美人画とはひと味違っている。

5人の女は、いずれも寛政年間を代表する美女たち。対局しているのが、 おきたとおひさ。見守っているのは、湯島女坂の橘屋おたつ、富本豊雛、品川の 平野屋お吉。

ほかに歌麿の囲碁図には、絵本『百千鳥(ももちどり)』の中の烏鷺 (烏鷺=「うろ」は囲碁の別称で、黒石と白石を烏と鷺に見立てた言葉)図や、判じ絵として 有名な「旭屋後家(図版10-3)」などがある。

(編集者注:故ピンカード氏のコレクションには歌麿の「琴棋書画図」も含まれていたが、残念ながら 現在は所在不明。)
図版 10-3. 高名美人六家撰(こうめいびじんろっかせん)
喜多川歌麿 大判 版元・近江屋権九郎 寛政8年(1796)頃



湯上りふうの美女。眉を剃り落としているのは既婚者のしるし。名前ははっきり書かれていないが、 左上のコマ絵から推察すると、「遊女屋・旭屋(または日の出屋あるいは烏森)の後家(碁毛)」と読むのだろう。 「特定の美人を宣伝してはならない」という幕府の禁令に、浮世絵はこのような判じ絵で抵抗していた。
図版 10-4. 琴棋書画之内 碁
菊川英山 大判 版元・和泉屋市兵衛 文化8年(1811)頃



琴棋書画を描いた4枚揃の1図。
図版 10-5. 風流月雪花
3代歌川豊国(歌川国貞) 大判3枚続 版元・丸屋甚八 弘化3-4年(1846-47)



雪月花をテーマにした3枚揃のうちの「月」。ファッションは江戸時代ふうだが、碁盤に手をかけている女の着物の柄が 源氏香(げんじこう)で、灯りも平安時代ふうと、随所に源氏絵の面影が見られる。(「5.光源氏」参照)

(エルヴィン・ゲアストルファー氏所蔵)
図版 10-6. 名妓三十六佳撰 歌之助(めいぎさんじゅうろっかせん うたのすけ)
3代歌川豊国(歌川国貞) 大判 版元・蔦屋吉蔵 文久1年(1861)



36人の名高い遊女を描いたシリーズ。
図版 10-7. 名妓三十六佳撰 若妙(めいぎさんじゅうろっかせん わかたえ)
3代歌川豊国(歌川国貞) 大判 版元・蔦屋吉蔵 文久1年(1861)



10‐5図と同じシリーズ。親思いの若妙は病気の母を案じ、「わたしを身代わりにしてください」と神仏に願をかけている。 寺へ詣でた帰り道、母回復の嬉しい知らせを聞いたところ。

明治時代には、裕福な家の婦人たちが諸芸を披露している姿がしばしば描かれた。次に紹介するのは、そうした3図。
図版 10-8. 女禮式茶の湯(おんなれいしきちゃのゆ)
楊洲周延 大判3枚続 版元・武川卯之吉 明治24年(1891)



3人の娘が茶道の稽古。まだ幼さが残る真中の少女は、付き添いの母親たちが碁を打ちながら時間をつぶしている様子を 振り返って見ている。
図版 10-9. 貴顕令嬢諸芸競(きけんれいじょうしょげいくらべ)
楊斎延一 大判 版元未詳 明治29年(1896)頃



高級そうな調度品や着物、蒔絵の碁盤と碁笥。いかにも明治中頃の裕福な家庭の令嬢。
図版 10-10. 婦人諸禮式の図 囲碁(ふじんくらべれいしきのず いご)
楊洲周延 大判3枚続 版元・藤木吉勝 明治35年(1902)



浮世絵では碁盤の目の数が正確でないことが多いが、本図では正しく19路×19路に描かれている。 ただし石の置き方までは考慮されていない。