碁盤忠信 目次へ戻る

図版


図版 7-1. 佐藤四郎忠信
歌川国芳 大判 版元・鶴屋喜右衛門 文政13年=天保1年(1830)



幕末の文化・文政期(1804‐1830)。浮世絵界は、鈴木忠信、鳥居清長、喜多川歌麿の流れをくむ美人画に席巻されていた。 そんな中、長い間衰退していた武者絵の人気を復活させたのが国芳だ。文政10年(1827)頃、『水滸伝』の豪傑を描いた シリーズで大ヒットを飛ばし、その後も勇壮な作品を次々と発表。「武者絵の国芳」と異名をとった。 本図は人気絵師の名声を得て間もない頃の作品。なお、国芳は、美人画・戯画でも才能を発揮した。
図版 7-2. 本朝水滸伝豪傑八百人之一個(ほんちょうすいこでんごうけつはっぴゃくにんのひとり)
歌川国芳 大判 版元・加賀屋吉右衛門 天保1年(1830)



『水滸伝』の豪傑を日本の武将に置き換えて描いたシリーズ。 天保14年(1843)−弘化2年(1845)頃には伊場屋から再版された。 再版では国芳の名を囲む徳利型の縁取りは消され、画面左に新たに改印と版元の屋号が摺られている。
図版 7-3. 佐藤忠信 沢村訥升(さとうただのぶ さわむらとつしょう)
歌川貞房 大判 版元・菊屋市兵衛 天保11年(1840)



初代沢村訥升が忠信を演じた歌舞伎のクライマックスシーン。この舞台では、眠っていた忠信に敵の襲来を知らせたのは 若い髪結いだったという説があり、ほかの浮世絵には見られない独特の髪形とあわせて興味深い。 また、忠信の着物には源氏車の模様があしらわれていることが多いが、本図は源氏車を碁石に見立てたデザインとなっている。
図版 7-4. 武勇五行佐藤忠信 乙
歌川国芳 短冊判 版元・湊屋小兵衛 天保11年(1840)



シリーズの二番目という意味で記されている「乙」は、十干(じっかん)の第二。陰陽五行説と結びつけ、 「木の弟(きのと)」とも呼ばれる。木といえばもちろん碁盤の材料であり、その関連も面白い。 国芳は細長い画面いっぱいに、忠義心にあふれた勇猛な忠信を描き出している。
図版 7-5. 本朝武勇鑑(ほんちょうぶゆうかがみ)
楊洲周延 大判 版元・綱島亀吉 明治15年(1882)





日本の武将を描いた画集より。大判の下半分が使われている。
図版 7-6. 本朝文雄百人一首(ほんちょうぶんゆうひゃくにんいっしゅ)
歌川国芳 中判 版元・村鉄 弘化3年(1846)



左上のコマ絵の歌は、吉野山に降る雪を桜の花びらと死者に重ね、戦いの壮絶さを物語っている。
図版 7-7. 小倉擬百人一首 坂上是則(おぐらなぞらえひゃくにんいっしゅ さかのうえのこれのり)
歌川国芳 大判 版元・伊場屋仙三郎 弘化2年(1845)



雪深い吉野山で別れたきりの義経に今一度会いたいと願う忠信の心情を、小倉百人一首の坂上是則の和歌に託している。

朝ぼらけ有明の月と見るまでに
吉野の里にふれる白雪

本図は人気が高く、国芳の存命中に幾度も版を重ねた。そのため囲碁図の中でもっとも数多く残っているが、 初期に摺られたもののうち、保存状態のよい図は稀である。
図版 7-8. 佐藤忠信奮戦 義時が勢を破る図
歌川国芳 大判3枚続 版元・山口屋藤兵衛 安政2年(1855)



国芳は好んで忠信を画題に取り上げたが、本図はとりわけ迫力があり、細部まで緻密に描写されている。 天保6年(1835)頃に描かれたものの、何らかの事情により、20年の歳月を経てやっと出版された。
図版 7-9. 千歳曾我源氏礎(せんざいそがげんじのいしずえ)
二代長谷川貞信 大判3枚続 版元未詳 明治17年(1884)



河竹黙阿弥作の人気歌舞伎作品から取材。忠信役は初代市川左団次。
図版 7-10. 東錦昼夜競(あずまにしきひるよるくらべ)
楊洲周延 大判 版元・小林鉄次郎 明治19年(1886)



今しも愛人が密告に行こうとしている。上部には忠信が吉野から逃れる場面が描かれている。 東錦とは鈴木春信の創始による多色摺浮世絵のこと。上方に対し「江戸で刊行された錦のように美しい絵」との意で 「東錦絵」と呼ばれた。
図版 7-11. 源平盛衰記之内 佐藤四郎兵衛忠信
修斎国兼 大判3枚続 版元・松井栄吉 明治19年(1886)



大判3枚続の大画面を最大限に生かした躍動感あふれる作品。背景までていねいに描きこまれている。

この忠信は、まるでハリウッド映画のアクションスターのような超人ぶり。 碁盤を振り上げて北条軍を蹴散らしている図は多いが、はるかにその上をいっている。 床板を踏み抜いて足で敵をねじ伏せ、逃げようとする小車の着物を片手ではっしとつかみ、残る片手で碁盤を振り回す。 しかもその手にゆわえつけた槍で、別の敵の体を刺し貫く。 しかし背後には武器を持って攻め寄せる北条軍がシルエットで描かれ、忠信の悲劇的な最期を予感させる。

本図は役者絵ではないが、「千歳曾我源氏礎」の影響を受けていると思われる。
図版 7-12. 碁盤忠信追手之場
梅堂小国政 小判3枚続 版元未詳 明治24年(1891)



「千歳曾我源氏礎」より、初代市川左団次。このような小判の役者絵は、上方の版元によく見られた。
図版 7-13. 佐藤忠信奮勇 討手を破る画
梅堂小国政 大判3枚続 版元・片田長次郎 明治28年(1895)



3人の敵をまとめて碁盤で片づけ、もうひとりにとどめの一撃を加えようとしている。オーバーアクションぶりが楽しい。
図版 7-14. 歌舞伎役者図
勝川春章 細判 版元未詳 寛政期(1790年代)



本図と7‐15図は忠信を描いたものではないが、「碁盤忠信」の人気に強い影響を受けた歌舞伎作品の一場面。 本図は元禄13年(1700)江戸中村座初演「金平六条通ひ(きんぴらろくじょうがよい)」で 坂田金時の息子・金平を演じる市川八百蔵とされる。
図版 7-15. 歌舞伎役者図
勝川春英 細判 版元・川口屋宇兵衛 寛政7年(1795)頃



享保5年(1720)江戸森田座初演「楪根元曾我(ゆずりはこんげんそが)」で 曾我十郎を演じる市川八百蔵とされる(図版11‐3参照)
図版 7-16. 七代目市川團十郎
歌川豊国 細判 版元未詳 寛政12年(1800)頃



「碁盤忠信」だんまり場面での七代目市川団十郎。
図版 7-17. 佐藤四郎兵衛武勇
歌川芳員 大判3枚続 版元・大黒屋平吉 嘉永3年(1850)



迫力ある大立ち回り場面。
図版 7-18. 歌舞伎役者図
豊原国周 大判3枚続 版元・松井栄吉 明治18年(1885)



左より、市川団十郎(義時)、市川左団次(忠信)、中村福助(小車)。 忠信の着物の2色の源氏車模様は、黒白の碁石を表している。
図版 7-19. 忠信奮戦
勝川春亭 大判 版元・出版年未詳






今しも碁盤を振り下ろし、敵の息の根を止めようとする忠信。
図版 7-20. 忠信奮戦
歌川国芳 大判 版元・出版年未詳



同じく、たちまちにして敵を打ち破る忠信。
図版 7-21. 忠信奮戦
勝川春英 大判 版元・榎本吉兵衛 出版年未詳



春英による奮戦場面。
図版 7-22. 日本略史図
二代山崎年信 大判 版元・金井平三郎 明治22年(1889)



敵を足で押さえつけながら碁盤を投げる忠信。